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Celeb ★ Life

Halle Berry

ハル・マリア・ベリー(Halle Maria Berry、1966年8月14日 - )は、アメリカ合衆国の女優。日本では主にハル・ベリーとして知られているが、実際の名前の発音は['hæli 'beri]で「ハル」よりも「ハリー」に近いため、「ハリー・ベリー」として表記されることもある。

[編集] 生い立ち
オハイオ州クリーブランドにて、アフリカ系アメリカ人の父ジェローム・J・ベリー(Jerome J. Berry)とイギリス・リヴァプール出身の白人の母ジュディス・アン・ホーキンス(Judith Ann Hawkins)との間に生まれる。命名は地元クリーブランドのデパート「ハリーズ・デパートメント・ストア(Halle's Department Store)」にちなむ。4歳の時に両親が離婚、看護師だった母の元で育てられる。

ベッドフォード市内の高校、カヤホーガ短期大学(Cuyahoga Community College)卒業。


[編集] キャリア
女優になる以前には数々のミスコンテストに出場しており、1986年のミスUSA2位、同年のミス・ワールド6位となる。1991年の『ジャングル・フィーバー』でデビューし、翌年公開の『ブーメラン』で注目を集める。

1989年に"Living Dolls"というテレビシリーズを撮影中に昏倒したことから、1型糖尿病であることが判明する。それ以降、糖尿病団体のボランティアとして啓蒙活動にも参加している。

1999年放送のテレビ映画『アカデミー 栄光と悲劇』でドロシー・ダンドリッジを好演し、エミー賞やゴールデングローブ賞を受賞。2001年『チョコレート』でアフリカ系アメリカ人として初めてアカデミー主演女優賞受賞の快挙を成し遂げた。また、ベルリン国際映画祭銀熊賞も受賞した。

2002年公開の『007 ダイ・アナザー・デイ』ではボンドガールを務めた。

2004年公開の『キャットウーマン』でゴールデンラズベリー賞(最低主演女優賞)受賞。受賞しても直接受け取りに来る俳優・監督がほとんどいない授賞式に自ら駆けつけ、懐の大きさを示し観衆から喝采を受けた。出演した理由について本人は、「アカデミー賞を受賞したからといって良い作品とは限らないし、逆にラジー賞を受賞したからといって必ずしも悪い作品とは限らない。私はあの役を精一杯演じたし、作品に出演した事も後悔していない。そのことを伝えたかったのよ。」と語っている[1]。

授賞式には『キャットウーマン』に主演したハル・ベリーと、脚本のマイケル・フェリスが出席。受賞スピーチの際、ベリーは「夢じゃないの!?信じられない!」と涙ながらに登場すると、皮肉たっぷりの内容で作品スタッフや周囲の人々に対して興奮気味に謝辞を述べ、自身がオスカー主演女優賞を受賞した際のスピーチ[2]のセルフパロディを演じて会場を沸かせた。映画を酷評した評論家たちに対しては、持参していたオスカー像を高々と突き上げ「奪えるものなら、やってみなさい。ここには私の名前が刻まれているのよ」と言ってのけ、また母から教えられた「よき敗者になれないものは、よき勝者にもなれないわ」との言葉を引用して出席者たちから大喝采がおくられた[3]。

2007年に著名人の功績を称えるハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに加わった。


[編集] 私生活
1996年にMLB選手デービッド・ジャスティスと離婚後、R&B歌手のエリック・ベネイと結婚。しかし、夫のセックス中毒などが原因で2003年に別居、2005年には正式に離婚した。

2005年11月にカナダ人モデルのガブリエル・オーブリー(Gabriel Aubry)と出会い、交際を始めたが、今後結婚する意志はないことを明らかにしている[2]。2008年3月16日にロサンゼルスにて第一子となる長女ナーラ・アリエラ・オーブリー(Nahla Ariela Aubry)を出産[3]。

エリック・ベネイと結婚した時にベネイの娘インディアを養女としており、離婚後もインディアとは度々会っている。また、テレビ番組Extraで他にも養子をとるつもりであると述べた[4]。

交際相手からの暴力が原因で片耳の聴覚がほとんど無いが、人前で補聴器などを付けることは無い

ハル・ベリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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